アラカンの逝く前に行ってみた

主に美術館巡りかな

89. 幼い頃の感動は幾つになっても覚えているもののようです - 弥生美術館・竹久夢二美術館(東京都文京区)

 小学校に通う前のクリスマス・イブだったと思うのですが、父がポータブルタイプのレコードプレイヤーとレコードを買ってくれました。レコードは小学校の教師をしていた父が同僚に相談して決めたものだったはずで、A面は「藁の中の七面鳥」などのクリスマスの定番音楽集、B面はサン=サーンスの「動物の謝肉祭」。後から聞いた話では、とても気に入って正月を過ぎても一日中聴いていたらしく、60を過ぎた今でも「白鳥」を聞くと赤いレコードプレイヤーの事や若かった頃の父親の事をひとしきり懐かしんでしまいます。母は市立の図書施設や移動図書館から児童書を何冊も借りてきてくれて、どのような本だったかはとうに忘れてしまったのですが、なぜか「ドリトル先生航海記」だけはとても気に入ったことを覚えています。
 なんで「動物の謝肉祭」と「ドリトル先生航海記」だけはしっかり覚えているのかはわからないですが、今回訪れた美術館でも、そんな子供時代の出来事を懐かしく思い出してしまいました。よほど感激したんですかね。


ざっとした御説明(2023年9月下旬に訪れました)

 名前は別々になっていますが渡り廊下でつながった一つの施設。弥生美術館はバドミントンコートサイズの展示室が1階から3階まであって、1, 2階で企画展示、3階で「高畠華宵」の常設展時、お隣の竹久夢二美術館では1, 2階で作品を展示。設立者が幼少期に熱心に読んだ少年誌に挿絵を描いていた「高畠華宵」の熱烈なファンで、自宅に「華宵の間」を作ったのが弥生美術館開設への第一歩なのだそうです。チケット売り場は一ヶ所で2館共通、お土産物売り場と喫茶店がありました。


アラカンの個人的な感想

 この美術館の創設者は陸軍士官学校、東北帝国大学で学び、東京第二弁護士会の副会長を務めた方だそうで、東京の私設美術館の多くが「成功した実業家が残した蒐集品」を基にしているのとはちょっと毛色が違いました。美術館の中に創設者の人となりや創設までの経緯を紹介したパネルがありましたので、こちらの方もぜひ目を通していただきたいと思います。単に好きな画家の作品を蒐集しただけではないことに、アラカンは驚かされました。
 おそらく、「竹久夢二」の名前に惹かれて美術館を訪れる方が多いのではないでしょうか。高畠華宵の日本画はとても美しかったのですが、。アラカンもこの美術館で初めて知った画家です。子供時代に挿絵を目にした年代はさすがに少なくなっていて、この先、多くの人を集めることはできないでしょう。高畠華宵の常設展時を永らえるには竹久夢二美術館の併設は必須だったように思えます。


ちょっとしたオマケなどなど

 美術館の正面が東京大学本郷キャンパス、坂道を下ると上野公園で上野駅の反対側のボート池に出ます。また、旧岩崎邸庭園や湯島天満宮なども近くて見て回るところには困らないのですが、意外と見落としてしまいがちなのが上野動物園の弁天門。この門からならば正門からは遠いパンダ舎もすぐ近くです。アラカンが訪れた日は「60歳以上は無料」とのことだったので、身分証明書で入場してパンダや爬虫類を見てから上野駅へ。ほとんど動かない親パンダと違って、じゃれ合いながら盛んに動き回る双子見て、パンダに対するイメージが変わっちゃいました。


私はこうやってたどり着いた
東京メトロ千代田線根津駅1番出口からスタート

言問通りを右折して東京大学方面へ

右折してすぐの電柱に案内の看板がありました

坂道を登る途中、「弥生式土器」の石碑で左折

最初の交差点を右折

突き当たりを左折

直進すると左手に目的地